発達格差
子どもの発達格差 将来を左右する要因は何か
森口 佑介 (著)
読んでいて苦しくなりました。
現在の日本では「未来に向かう」子どもと「今を生きる」子どもの二極化が進んでいるとのこと。私はそれを実感していたため、どのような原因と対策が載っているのか?ワクワクしながら手に取りました。しかし残念ながら、筆者の目線では、その違いは親自身の経済力や学歴、愛着などの環境要因に終始していたのです。
「発達障害」という言葉が一度も出てこなかったため、専門外なのだとは思います。しかしその点を明記しておかないと、傷付く親御さんがいます。この本は、定型発達のお子さんについて書かれていると考えて良いと思います。経済的に苦しくて学歴の低い親御さんは、子どもへの関心が薄い可能性があり、この本を手に取る機会は少ないでしょう。むしろ発達障害のある子どもを持つ親御さんは、子どもの診断に至るまでにも多くの行動を起こしていますし、この本にリーチしてしまう可能性が高いです。
もう一点、不登校の子どもを持つ親として気になったのは、環境要因としての学校の存在が希薄だったこと。幼児期に培ってきた社会への信頼感や自己効力感、主体的に学ぶ姿勢などが、義務教育期に潰されてしまった子どもがたくさんいると実感しています。筆者のいう、入り口(家庭の経済格差)と出口(子どもの学歴)の間のブラックボックスに、学校に適応できるかどうか?学校で自分らしく成長できたかどうか?という変数もぜひ入れてもらいたいと思います。
そんな中でも、我慢して読了することにより、自分とは違った視点が得られたのは収穫です。
「実行機能」が弱い、ADHD傾向の子どもたち。「向社会的行動」が少ない、ASD傾向の子どもたち。その支援について、引き続き考えていきたいと思います。
哲学と医学のあいだ
発達障害の精神病理 I
鈴木 國文, 内海 健, 清水 光恵, 菅原 誠一, 松本 卓也 (著)
とっても難解で、哲学って感じです。
半分理解できたかどうかってくらい...
でも事例があるから面白い!
自閉症は今やスペクトラムなので、見えている世界が全く違う重度(言葉を使えない)から、定型発達に擬態できる軽度(生きづらい)まで多種多様。その症状が一体どういう機序で生じるのかを、科学では証明しようのない推論としてアレコレ考えを巡らせています。深淵を覗くような不思議な体験ができました。
ウチ(私自身と両親と弟)は、誰も診断は受けていないけれど自閉一族だと思っているので(笑)長年の謎が解けたところもあります。他にもシリーズがあるので読んでみたい。
興味深かったのは、統合失調症と診断されてきた人たちの中に、かなりの割合で実は自閉症だった人が混じっているのではないか?ということ。統合失調症は精神医学の創成期からある病気で、定型発達が前提です。一方で発達障害は歴史が浅く、凸凹や個性とも言われている通り、病気ではありません。そのギャップは、治るか治らないか?本人か環境か?という、問題の根本からして全く違う文脈なのです。さらに、自閉症の素地を持つ統合失調症も多いためややこしい。
これらの研究で、学校や社会のシステムがどのように変わっていくのか?とても楽しみに感じています。今よりは悪くなりませんように。神経多様性(ニューロダイバーシティ)が実現される社会を夢見ているし、自分にも何かできれば!と思っています。
「よい子」研究
新装版 人生の悲劇は「よい子」に始まる
見せかけの性格が抱える問題
加藤 諦三 (著)
幼少期の「よい子」すなわち過剰適応が、人生にもたらす負の側面に関する研究は、あまり多くはなされておらず、自分自身の修論のテーマの候補にもなっている。
著書はもともと1994年(30年前)に刊行されており、自分がまだ小学生の頃。そのため、発達障害に関する言及がすっぽり抜け落ちていることは、著者の仮説に大きく影響していると感じる。学校において特殊学級が特別支援学級に変更されたのは2007年(17年前)であり、その頃から発達障害の一般への認知が高まったと考えると、ごく最近のこと。
例えば不登校(登校拒否)は親を信頼できないことが要因という考察や、「よい子」は精神的に未熟な親のせいなど、著者の経験を基にした一方的なものが多い。実際は、不登校は持って生まれた特性と社会との不適合がもたらすものだと思うし、「よい子」は社会性の発達に遅れを持つ子どもが適応的にみせるためのカモフラージュを拗らせたものだと考えられる。
もちろん、機能不全家庭に由来する愛着障害がもたらす「第4の発達障害」という概念があるため、両者が深く関係し合っていることは事実。近年になって、より多様な側面が見えてきたということだろう。
以下に自分自身の体感と合う部分を抜粋。
・忍耐力は、父性欠如の家庭には育たない。(自身が母子家庭だったため実感している)
・自分に何か欠けているから劣等感があるのではなく、劣等感があるから欠けていることを過剰に意識する。(こういう因果関係の逆転は大体真実を言い当てているので好き)
・感情が未処理の人というのは、生まれてから一度も部屋の掃除をしない人のようなものである。(認知症の母の実家仕舞いをしていて、つくづく感じている)
・無私な親の与える影響は、利己的な親の与える影響と大差ない、いや実際には一層悪質なものである。(世間から見ると良い親のため、こんな素晴らしい親を責める自分はなんてダメな子どもなのだろうという気持ちになる)
事実、母は「よい子」として育ってきた。その時代は、そういう子どもは多かったのではないかと思う。未熟な親に育てられた母に育てられた私は?というと、やっぱり「よい子」の側面が強い幼少期だった。小学生時代の過剰適応から中学生で選択制緘黙症になり、すっかり無気力となって大学受験に失敗(夢がなかったため)、大学時代に第3者から叱られることで目が覚めて、さらに社会人の時に無意識を支配していた「怒り」の感情に気付き、解離していた7歳くらいの自分と出会い、統合することによって「自分は自分のままでめっちゃ楽しい!」とようやく思えるようになった。30歳の頃である。このように、「よい子」の時期が長ければ長いほど、自分自身の時間を10年単位で無駄に浪費してしまうのだと実感している。
さて、自分の子どもはどうか?「よい子」にさせていないだろうか?少なくとも、不登校になったり全然言うことを聞かなかったりするので、親としてはイライラすることは多いが、愛着や自我の形成には問題ないのではないかと思う。
最後に、「よい子」は学校では問題にならず、むしろ教員から見れば理想の児童生徒なので手柄にされてしまうことさえある。今後その深刻さがもっと認知されて研究が進むことを願っている。当事者としてピアサポートなど、自分にも何かできるならやっていきたい。
発達障害のいま
発達障害のいま
杉山 登志郎 (著)
読了してからずいぶん時間が経ってしまい、感想を忘れそうになってます。汗
241ページからの「親が知っておくべきこと」にこの本のエッセンスが凝縮されていると思うので、抜粋。
元々の問題を軽減させること、同時に二次障害を作らないこと。
そのためのキーワードは、愛着の形成促進とトラウマの軽減。
発達の凸凹が発達障害にならないように、大切なのはペアトレ。
ASD児は幼児期における様々な課題が遅れるが、しかし「遅れるだけである」ことは最も重要なこと。
子どもの甘えを受け入れつつ、我を通すのを阻止する。これは矛盾しない。小学校年代は「きちんと戦う」こと!母が子のこだわりを手伝うといった「巻き込みを作らない」こと!
中学校からは、苦手の谷間を埋めるよりも得意を伸ばすことにシフト。本人を尊重する。高校生になると一気に世界が広がる。凸凹の理解もできる。
最後に、発達障害を予防することは可能。発達凸凹レベルに留められるなら、それは決してマイナスではない。
ヒロアカ
子どもたちと一緒にハマっていた漫画。
終わってしまって悲しいけれど、読後は寂しさよりも温かいものが残る、良い物語でした。

対人援助活動をされている全ての方にとって、励みになると思います。
心理学的な側面からは、個性=発達特性に変換すると、今の時代の課題にとてもよく合っていると感じられ、自分が取り組んでいる学習への意欲が増し、大きな動機付けになっています。
特にトガちゃんや心操くんなど、持って生まれた個性が社会に受け入れられないものだったらどうする?という問いかけ。人それぞれ答えが違う難問です。
最終局面では、ひとりひとりが当事者意識を持つことの大切さを訴えていて、この物語の落としどころになっています。ヒーローが暇な社会。私も、例えばスクールカウンセラーがいらない学校システムになれば良いと思っているので、共感できます。
使命感や勇気がヒーローの如く湧いてくる。この漫画は、私にとってもヒーローアカデミアでした。