長女を妊娠中に、もしこの子に大きな障害が無ければ、もし育てやすい子であれば、大学院に挑戦しようと密かに思っていました。それを生後6ヵ月のときに見極めて、受験勉強を開始。一見大変そうだけど、実は0歳後半って母親の自由時間が比較的取りやすい。上2人を育てていて経験済み。実際、2歳前の今よりもずっと勉強に集中しやすい環境でした。
ちなみに受験開始時の心理学の知識… ユングとフロイトくらいしか知らなくて、カール・ロジャーズって誰?レベルでした。笑
朝の家事が一段落した10時ごろから朝寝をするので、勉強を始めるにはとても良い時間。認知症の母もまだしっかりしていたので、食器洗いや洗濯をして、コーヒーも淹れてくれていました^^
昼ご飯は生協の冷凍食品を中心にパパっと準備して、長女がまた昼寝を始めたら勉強。ここまでで合計3時間は確保できてたかな?
夜はしんどくて寝てしまうこともありましたが、夜泣きで逆に目が冴えて深夜2時とかから1、2時間ほど勉強することもしばしば。そうでなくても3時間ごとに起きていたかな。産後の母体の不規則な睡眠リズムで乗り越えられたのかも。
寝かしつけでお尻トントンしながら、薄暗がりの中で(目が悪くならないようにメガネを外して)教科書を読んでいましたね。計画を立てても守れずストレスになるのが分かってるから、あえて自分が今一番やりたい勉強をやるという独特のスタイルでモチベーションを継続できました。主に「好奇心」と「不安」が交互に来るようにしたら精神的健康を保てたかな?ここには心理学の動機付けの知識が役に立ちました!
試験直前の1ヶ月間はやるべきことが山積みだった上に、長女の昼寝が1回になっていたこともあり、時間確保がかな~りしんどかった。どんなに頑張っても3時間が限度。もうあの生活は二度と無理、寿命が縮みますね… ラストスパートなので、あえて心身をゴリゴリ削りながらカウントダウンしていました。でも「試験があるから」と言い訳することなく、家族の時間や不登校支援の活動はちゃんとこなしてたので、自分を褒めたいです。
なんでそこまで頑張れたのか?
長男を受け入れる器がない公教育への「怒り」ですね。
行き場の無いこの感情を、昇華させました。
不登校児の親は、それほどまでにしんどいのです。
ひとつだけ、母の認知症のことを見て見ぬ振りをしていたことを少し後悔しています。「少し」というのは、根本的に進行を止める方法はないこと、普段の家事が進行の予防に繋がることからです。でも、もっと色んな話をしておけば良かったな。今は失語が進んでほとんど会話が成り立たないから。
認知症は「Long Goodbye(長いお別れ)」
ゆっくりと、確実に、終わりが近付いています。後悔のないよう、時間を大切に。